自己満足で何が悪い!自分の発信したいことを好きなように発信する意義

昨日書いた記事の中で私は、YouTubeに動画を投稿するようあなたにオススメしました。

あ、まだその記事をお読みになっていないんですね、失礼しました。
こちらが、その記事です。

>>ギター練習がグッと楽しくなる!「プラモデル思考」の紹介と実践方法

プラモデルのようにギター練習を楽しむ!「プラモデル思考」のご紹介

でも実は「あなたにYouTubeの動画投稿をオススメするのは、若干後ろめたい・・・」という気持ちがあったのも事実です。
なぜなら、私自身が現在、YouTubeへの動画投稿を放棄してしまっているからです。

今回は、なぜ私がYouTubeへの動画投稿をストップしてしまっているのか、そして、それでもなおあなたにYouTube動画の投稿をオススメしたのはなぜなのか、そして、私が自分の作品をネットに公開することに対してどんな思いを抱いているのかを、あなたに向けてこっそりお伝えしたいと思います。

けっこう個人的な話になる気がするので、他の人には内緒ですよ。

動画投稿しまくっていた日々のこと

今ではすっかりくすぶってしまっている私ですけれど、かつては熱心に自分の演奏をネット上に投稿していたんです。
まずはその頃のことからお話させてください。

社会人3年目で、日々の業務に疲れ切っていた私の心は、今にも張り裂けそうなほどに疲弊していました。

会社での自分は自分じゃない・・・
俺は本当はもっとクリエイティビティとユーモアに富んだナイスガイなんだよう・・・!
と思いながら歩いた帰り道を、今でもたまに思い出します。

学生の頃は毎日「成長してるなぁ~!」って感じながら生きてたのに、今の俺ってなんなんやろ。
学生時代に貯めたエネルギーを食い潰して、ゆっくり退化しながら生きてる気分・・・
なんて思いながら歩きました。たまに涙が出たりもしました。

そんな鬱屈とした気持ちをぶつける先は、カラオケボックスでした。
当時、長岡京(京都府)の駅付近にあるワンルームマンションに住んでいたんですが、そこから徒歩5分のところにカラオケボックスがあったんです。
20時~23時の3時間パックが600円くらいの、めちゃくちゃおトクなお店でした。
ちなみに、今は閉店しています。

会社から帰るとすぐ、そのカラオケボックスにギターを背負って行き、3時間ぶっ通しでギターをかき鳴らして大声で歌うのが日課でした。
カラオケからの帰り道、喉をヒューヒュー言わせながら「ああなんか生きてるなぁ~」と強く感じつつ家まで歩きました。

で、そんなこんなで2か月くらいが過ぎたある日、突然、曲ができました。
できましたって言っても、2コードだけのめちゃくちゃシンプルな曲ですが、なんにせよ、曲ができたんです。

私はおったまげしました。

で、その曲を誰かに聞いてもらえたら楽しいなぁ、くらいの軽い気持ちでネットに公開しました。
そのときに使ったのは「Jam Studio」というアプリです。
(残念なことに、2020年の4月にサービス終了してしまいました)

このJam Studioは「複数のユーザーで多重録音してコラボ演奏を楽しめる」という主旨のアプリ。
なのでまぁ、完全にアプリの主旨をはき違えた使い方をしていたんですが、図らずも多くの方からリアクションをいただけました。

自分のつくった曲を聴いてくれている人がいて、好意的な反応をしてもらえる・・・。
なんだか自分の存在が認められているような気がして、とっちもとっちもうれしくなったのを覚えています。

それからも調子に乗って曲をつくりまくってはJam Studioに公開し、曲をつくってはJam Studioに公開し・・・という行為を繰り返していました。

ちゃんとアプリの主旨に則り、ステキなご縁に恵まれたりもしました。

で、Jam Studioにやたらと曲を投稿しまくっていたのがきっかけで大阪のインディーズレーベルと契約することになり、その過程で自分のYouTubeチャンネルをもつことにしました。

最初に投稿したのは2019年9月22日、Perfumeの「レーザービーム」の弾き語り。
その後、オリジナル曲を103曲、カバー曲やパロディー曲を50曲ほど投稿しました。

その間、なんだかんだで鉄道会社から今のWeb制作会社に転職したりしつつ、わざわざ防音室付きのマンションに引っ越してまで、継続的に動画をアップし続けてました。

でも、2021年8月13日の投稿を最後に、動画を投稿しなくなってしまったんです。

私が動画の更新をストップしてしまった理由

私が今の会社に転職したのは、2021年の4月でした。

「転職から数ヶ月して動画を投稿しなくなったということは、仕事量が増えて動画投稿の時間が取れなくなったのかな?」とあなたは思うでしょうか。

その考えは半分正解で、半分間違っています。

私が動画を投稿しなくなった原因として「転職による環境の大きな変化」があったことは間違いありません。
でも、環境の変化だけじゃなく、思考の変化も大きかったんです。

今、私は業務としてWebコンテンツの制作をしています。
Webで検索する多くのユーザーさんから求められるコンテンツを制作するために、日々知恵を絞っているんです。
これは、専門用語で「SEO」と呼ばれる技術です。

SEOにおいては、最大公約数的なコンテンツをつくる必要があります。
なぜなら、できるだけ多くの人が必要としていて、できるだけ多くの人にとって有益なコンテンツをつくらなければ、Web集客の成功に寄与できないからです。

SEOに真摯に向き合う中で私は、以下のような思考をもつようになりました。

  • 今からつくろうとしているコンテンツには、そもそもニーズがあるか?
  • 自分のつくったコンテンツは、そのニーズをきちんと満たせているか?

誤解しないでいただきたいのですが、私は、SEOというスキルにも、現在の業務内容にも、強い誇りを感じています。
世の中に価値をしっかりと届けるための、誠実で真っ当な手段だと思うからです。

私の失敗は、こうした真っ当な思考をもつことによる副作用として「自己満足なコンテンツをつくるのはやめておこう」という発想に陥ってしまったということです。

「どうせ誰も観てない、こんな動画をアップしたところで何も価値がない」

かくして私は、自作曲や自分の演奏動画を発信することの意味を見失ったのでした。

自己満足なコンテンツは「自分の思考の魚拓」である

しかしつい最近、このように感じるようになってきました。

自分の名前で発信するコンテンツにおいて、別に「何か明確な価値」を提供する必要はないんじゃないか。
自分のために、自己満足のために発信活動をすることは、ちっとも恥ずかしいことではないんじゃないか。

自己の満足すら追及できない人が、他者を満足させることなんてできない・・・とまでは言いませんが、少なくとも、自分自身を満足させるという行為は「自分が満足する」という極めて明確なメリットのある行為だと思うのです。

SEOコンテンツは、最大公約数的な価値を前提とします。
そのため「自分の言いたいこと」を「自分の言いたいように」語るのではなく、「多くの人が知りたいこと」を「できるだけわかりやすく」伝える必要があります。

繰り返しにはなりますが、これは本当に素晴らしい技術だと思うし、SEOに真摯に向き合って磨き上げたコンテンツをとおして多くの方々の良質な意思決定をサポートできることは、私にとって大きな働きがいになっています。

しかし一方で「今ここに生きている【私】が語る必然性が薄い」という側面も、否定できないと思うのです。

今後AIがどんどん賢くなれば、私よりもっと洗練された文章で、より正確な情報源に沿って、より多くの人にとってわかりやすいコンテンツをつくれるようになるかもしれません。
というか、そんな未来がすぐそこまでやってきているように感じます(まだ来てないことを願います。ナニトゾナニトゾ)

このようなことを考えたときに「SEOの視点でできることはたくさんあるが、SEO軸ではない【自己満足な】コンテンツ制作にも、やはり大きな意義があるのではないか」と思うようになったのです。

SEOを意識しない、自己満足でワガママなコンテンツは、多くの人にとって役に立たないかもしれません。
っていうか、その可能性の方が高いでしょう。
でも少なくとも、自分自身を満足させられることに変わりはないし、少し大げさに言うならば「自分の生きた証」にすらなるように思うのです。

自分がそのとき本当に感じたことや、本当につくりたいと思ったものを発信する。
そうしたコンテンツは、その瞬間に自分がどんなことを考え、どのように生き、どのようなフラストレーションを感じ、どのように社会と折り合いを付けていたのかがわかる、自分だけの貴重な資料になると思うのです。
自分の思考を丸ごと記録してくれる魚拓的な。

激さむのオヤジギャグ全開な記事だっていいでしょうし、自分が気に入っているギターのフレーズをひたすら弾きまくるだけの動画でもいい。
自分がそのときに「したい」と感じたことを実行し、それを記録に残す。

それが結果的に、どこかの誰かの人生にとって大きな意味をもっちゃうことだってあるかもしれません。
多くの人に向けたコンテンツではないからこそ、私と同じような考え方をする人にとっては、心を強く揺さぶったり、行動のきっかけになったりするだけのエネルギーをもっている可能性があると思うのです。

最大のニーズは自分自身の中にある

私は、おとといくらいから「このブログに毎日1記事は投稿したいな」と決めました。
まぁ決めたっていうか、朧気ながらにそう思ったっていう感じですが。

仕事終わりで疲れているのに、わざわざ誰も読まないようなブログを書くのは、何のため?

もうこれは「自分でそう決めたし、そうしたいから」としか言えません。
それ以上でも以下でもない。

自分の生きた証として、これからも自己満足な記事を投稿し続けるし、自己満足な動画投稿だって再開しちゃおっかなと企んでます。
別に多くの人から求められなくてもいい、というか、最大のニーズは自分自身の中にあるので、それを無視する必要はないのかなーと感じています。

それに、多くの人のニ―ズには合致しなくても、誰かひとり、強烈にニーズを感じてくれる人がいるかもしれませんしね。
もしそれがあなただったとしたら、こんなにうれしいことはありません。